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 昭和37年7月8日、美畑山清涼寺は東京向島の名刹(めいさつ)・霊鷲山常泉寺の本堂を移築改修して「清涼寺本堂庫裡落慶法要」が総本山第66世日達上人によって奉修されました。

ここを起点として清涼寺は名実共に地域広布の法城として出発したのです。


その折の『慶讚文(けいさんもん)』には、次のような一節があります。

「夫(そ)れ清涼寺は初め千葉県幕張近傍の創価学会信徒(注1)漸(ようや)く多く増加せるにより、昭和34年1月農家を買収改造して東京常在寺の出張所となし、翌昭和35年美畑山清涼寺と公称して正式寺院の許可を得たり云々。」

  (『大日蓮』昭和37年8月号)


 「昭和34年1月に農家を買収改造して東京常在寺の出張所」とされたのは、 他でもなく当時常在寺御住職であられた御登座直前の日達上人(当時 細井精道御尊師)です。

その後間もなく、同年12月2日、日達上人は総本山第66世の法統を継がれて総本山へ晋山(しんざん)遊ばされました。


 ところで日蓮正宗の正史『富士年表』には、清涼寺の建立について、「昭和34年3月7日 日達 千葉市畑町(注2)に清涼寺を建立(寺誌)」と記されています。


 これらの記述と『清涼寺明細誌』(寺誌) 等を照合整理すると草創当時の時系列は次のようになると思います。

 まず昭和32年頃、現在の清涼寺のある土地に存在した大きな農家を買収し、 寺院の用に資する為、十畳二間の本堂をはじめ種々改修して、昭和34年3月7日、常在寺出張所として発足。

これが『富士年表』に、清涼寺の建立年代として採用されています。


 しかし寺院登記の完了が翌昭和35年であった為、昭和37年7月8日の「清涼寺本堂庫裡落慶法要」の『慶讚文』では、「翌昭和35年美畑山清涼寺と公称して正式寺院の許可を得たり」と記されています。


 いずれにしても以後現在に至るまでの「周年記念法要」はすべて、『富士年表』 の昭和34年3月7日を起点として行われてまいりました。現在特別御供養と共に進められている種々の記念事業も、3年後の令和11年2月の「創立七十周年記念法要」を目指して順調に進められています。


 以上「清涼寺草創時代」の一端を記し、御報告といたします。

      (住職 石橋頂道)


(注1) 創価学会は平成三年に破門。

(注2) 千葉市畑町は現在、千葉市花見川区畑町。


清涼寺 寺報 「従藍而青」

「清涼寺創立70周年に向かって」 清涼寺草創時代

2026年9月1日号より


清涼寺本堂庫裡落慶法要(日達上人夫人・常観院夫妻) 1962年7月8日
清涼寺本堂庫裡落慶法要(日達上人夫人・常観院夫妻) 1962年7月8日

1959年(昭和34年)1月、農家を買収改造して東都常在寺の出張所となし

1960年(昭和35年)、美畑山清涼寺と公称して正式寺院の認可を得たり

1962年(昭和37年)7月8日、東都の名刹常泉寺の旧本堂を譲り受け、当山に引いて改修を加え厳飾を施し清涼寺本堂として本日茲に落成慶讃の法要を修する

  慶讃文より抜粋


美畑山清涼寺本堂落慶法要 並びに  総本山第66世日達上人御親修 並 御親教 が奉修されました



  • 清凉寺本堂建立落慶法要山門

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清涼寺本堂の沿革





 千葉県清涼寺本堂の上棟式は2月26日、御法主日達上人をお迎えし、

百数十名の参列を得て、おごそかにとり行なわれた。

 式は、正午を期して、御法主上人大導師のもとにはじめられ、読経唱題、

焼香ののち、御法主上人から挨拶のお言葉を賜わった。

 その後、代表祝辞、住職謝辞があり、祝杯をかわし、大工棟梁等によって

餅蒔きの儀が行われた。


大日蓮(昭和37年3月号)より抜粋


  • 清凉寺本堂上棟式躯体 昭和37年2月

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