
住職法話
美畑山清涼寺住職 石橋頂道御尊師の法話を紹介
今月の指針9月号「信心の貧しさこそ真の貧しさ」 御難会の月です
『四菩薩造立抄』に云はく
「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以(もっ)て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり。」
(新編 1369頁)
烏兎怱怱(うとそうそう)。本年後半もアッという間に2か月が逝(い)き、御難会(ごなんえ)の月を迎えました。
冒頭に掲(かか)げた御文は、御本仏・日蓮大聖人の広大無辺な御境界を披歴(ひれき)して余りある御書の一節です。
煩悩と欲望が渦巻(うずま)く五濁爛漫(ごじょくらんまん)の悪世末法。和光同塵(わこうどうじん)して出現遊ばされた久遠元初の御本仏大聖人こそ、末法の闇(やみ)を照らす大光明です。
しかしいかに偉大な光でも無知蒙昧(もうまい)な末法の荒凡夫の目には入らぬ悲しさ、彼らは挙(こぞ)って怒りを露(あら)わに顔を顰(しか)め、拳(こぶし)を振り上げて反発してきたのです。
しかし大聖人にとってそれは、ありがたい限りの善知識であり、法華身読の証明であり、無上の法悦でした。悪人もまた善知識なり。打つなら打て、その手を成仏せしめん! 蹴(け)るなら蹴れ、その足を成仏せしめん!
御本仏の面目躍如(めんもく やくじょ)たるお言葉です。
流罪地・佐渡や隠棲(いんせい)地・身延の御生活は、八寒(はっかん)を現身に感じ、雪を食(じき)とするほどの極限の生活、世間的には日本第一の極貧(ごくひん)に違いありません。
しかし一転これを仏法の目で拝すれば、取りも直さず一閻浮提第一の富める人であり、凡眼凡智の遥(はる)かに及ばぬ慈悲の極致です。
大聖人の破邪顕正の法鼓(ほっく)は日を追うごとに響きを増し、それに呼応して法難の激しさも倍加していきました。そのクライマックスが竜の口の頸(くび)の座です。
そこを境に真実久遠の御姿を顕し、佐渡から身延へ、そこで遂に出世の本懐である戒壇の大御本尊の御図顕となったのです。
万機万縁にして一閻浮提総与の大御本尊の御出現です。
「身の貧しさより、信心の貧しさを歎(なげ)く」。
御先師の誡(いまし)めをしっかりと身にたいし、御難会の月に相応(ふさわ)しく奮(ふる)い立ち、順逆二縁を救う大乗菩薩の精神で折伏を実践し、もって御報恩の誠を果たしてまいりましょう。
