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 2024年10月27日(日)午前11時より、「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正当会(ごしょうとうえ)」が天候にも恵まれ諸天にも守られながら厳粛に奉修されました。


 千葉布教区内の一月寺様、弾正寺様、長久寺様、啓正寺様、妙広寺様、浄徳寺様の御出仕を賜り、

多数の御信徒参列のもと、盛大かつ厳粛に奉修されました。


 法要は御献膳、「方便品」「寿量品長行」読経ののち「御申状奉読」の儀へと移り、石橋御住職並びに各寺御住職様方により『日有上人御申状』『立正安国論』『日蓮大聖人御申状』『日興上人御申状』『日目上人御申状』『日道上人御申状』『日行上人御申状』が奉読されました。


 法要に引続き、千葉布教区我孫子市 啓正寺御住職 藤本値道御尊師より「立正安国論を拝す」と題し布教講演がありました。

広宣流布に向けて折伏前進の決意を新たにし、歓喜溢れる中、一切を滞りなく終了しました。


 なお、前日 10月26日(土)は、御逮夜法要が奉修され、

日蓮正宗大石寺大坊 松本法茂御尊師より「不動の信心」と題し布教講演がありました。



  • 御会式しおり

 清涼寺では下記日程にて奉修いたします。

   11月15日(金) 13時    目師会(七五三祝) 


第三祖日目上人のご事蹟:

 代々を経て 思いを積むぞ

     富士の根の 煙よ及べ 雲の上まで (時世の歌)


 第三祖日目上人は文応元年(1260年)、伊豆国仁田郡畠郷(静岡県函南町)に出生し、幼名を虎王丸(とらおうまる)と称されました。母は、南条時光の姉です。

日興上人が伊豆に弘教されたときに弟子となり、そののち、身延に登って日蓮大聖人に常随給仕し、「宮内卿の公(くないきょうのきみ)」のちに「新田卿阿闍梨(にいだきょうあじゃり)」と称されました。


 日目上人は、東北から東海に至る各地に弘教するとともに、幕府及び朝廷に生涯42度にわたる諌暁(かんぎょう)をされました。


 正応3年(1290年)10月13日、日目上人は日興上人から内付嘱(ないふぞく)を受けられました。さらに元弘2年(1332年)11月10日、一閻浮提(いちえんぶだい)の座主と定められて、本門戒壇の大御本尊を相伝されました。


 翌 元弘3年(1333年)10月、日目上人は第4世日道上人に唯授一人(ゆいじゅ いちにん)の血脈を相承し、同年10月15日、天奉の途上、美濃国垂井(岐阜県垂井町)において74歳で入滅されました。


 大聖人のおそばで常にお給仕に励んだお姿は、末代の僧俗すべての鏡として長く門葉の讃仰するところです。そのご高徳を拝する末弟信徒は、報恩の誠を尽すため、祥月命日の11月15日に目師会を奉修します。


 この日目上人の身命をなげうって広宣流布に努められたご精神は、永遠に受け継いでいかねばなりません。

日蓮正宗においては、法のため、国のため、一切衆生救済のため老体をもかえりみないこの不惜身命の尊い行体を鑑とし、ご報恩の法要を真心をもって奉修しているのです。



弟子と共に京に向かわれる日目上人(宮沢慈悳房拝写)




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