2026年(令和8年)11月15日(日)「目師会(日目上人会)」 のご案内 美濃の垂井
日蓮正宗清凉寺では下記日程にて奉修いたします。
11月15日(日) 11時 目師会(もくしえ 日目上人会)
第三祖日目上人のご事蹟:
代々を経て 思いを積むぞ
富士の根の 煙よ及べ 雲の上まで (時世の歌)
第三祖日目上人は文応元年(1260年)、伊豆国仁田郡畠郷(静岡県函南町)に出生し、幼名を虎王丸(とらおうまる)と称されました。母は、南条時光の姉です。
日興上人が伊豆に弘教されたときに弟子となり、そののち、身延に登って日蓮大聖人に常随給仕し、「宮内卿の公(くないきょうのきみ)」のちに「新田卿阿闍梨(にいだきょうあじゃり)」と称されました。
日目上人は、東北から東海に至る各地に弘教するとともに、幕府及び朝廷に生涯42度にわたる諌暁(かんぎょう)をされました。
正応3年(1290年)10月13日、日目上人は日興上人から内付嘱(ないふぞく)を受けられました。さらに元弘2年(1332年)11月10日、一閻浮提(いちえんぶだい)の座主と定められて、本門戒壇の大御本尊を相伝されました。
翌 元弘3年(1333年)10月、日目上人は第4世日道上人に唯授一人(ゆいじゅ いちにん)の血脈を相承し、同年10月15日、天奉の途上、美濃国垂井(岐阜県垂井町)において74歳で入滅されました。
この日目上人の身命をなげうって広宣流布に努められたご精神は、永遠に受け継いでいかねばなりません。
日蓮正宗においては、法のため、国のため、一切衆生救済のため老体をもかえりみないこの不惜身命の尊い行体を鑑とし、ご報恩の法要を真心をもって奉修しているのです。
「目師会(もくしえ)」に馳(は)せ参じ、異体同心の真心をもって御報恩の誠を捧げ、新たな飛躍の第一歩を印したいものです。
弟子と共に京に向かわれる日目上人(宮沢慈悳房拝写)




