今月の指針7月号「強く生きる」
風そよぐ草原に吹く一陣の風、そこにビクともせずすっと立つ一本の草、強い風が吹いてこそ初めて分かる根の強さです。根が浅く弱い草は倒れ、根が強く深い草は生き残る。
「疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る」。古来人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)する名言です。
正月によく拝読する『十字(むしもち)御書』の中に、
「蓮はきよ(浄)きもの、泥よりい(出)でたり」
(新編1551頁) という一節があります。
比類なき清き蓮華の花は泥沼に咲く。二千年の悠久(ゆうきゅう)の時を経て開花する蓮華の花は、因果倶時の徳を具えた不朽(ふきゅう)の名花です。
だからこそ妙法の偉大な功徳に譬(たと)えられ、大聖人は御本仏の境地を「日蓮」の御名に託されたのです。
ところで私達は、表面の華やかさとは裏腹に、一皮むけば煩惱と欲望の渦巻く泥沼のような世界に生きています。仏教ではこれを娑婆(しゃば)と呼び、耐え忍ぶ穢(けが)れた世界です。
経済苦や病苦にはじまって人間関係・家庭不和・誹謗中傷、加えて天変地異の果てに骨肉相食(あいは)む戦争です。悩みの種は尽きることがありません。
しかし泥沼が深ければ深いほど大輪の華が咲き、煩惱・業苦が盛んなほど真の幸せを勝 ち取ることができる。
煩悩の中にこそ真の悟りが生まれ、苦惱の中にこそ真の歓喜が生まれる、これまた紛れもない事実です。
但しそこに絶対的条件として、三大秘法の正しい信仰が不可欠であることを忘れてはなりません。
絶望から希望の光が差し込んで生きる勇気と元気が芽生える大聖人の仏法は、いかなる困難にも負けない強く生きる力の源です。
苦しみから逃げても、それは必ずついてくる。それを克服する道は、それに負けない強い自分を作るしかありません。
どこまでも正しい信心を持続し継承して、信心の根を深く張り巡らし、疾風にビクともしない勁草のように強く生きる自分でありたいと思います。
連日の異常な酷暑のなかで、これも一つの善知識と達観し、快い汗を流してこその法悦です。
更なる異体同心の団結で力強く広布の前進を図ってまいりましょう。
清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2025年7月1日号より