今月の指針 2月号「謗法を悪(にく)んで、人を悪まず」
自転車の轍(わだち)は、せいぜい3センチ余り。
だからといって、3センチしかない道路を走ることはできません。
何倍もの広い道幅あるからこそ細い轍で走ることができるのです。
人間は、ひとりで生きていくことはできません。多くの人や物に助けられ、支えられて生きています。
「人」という漢字は、人が支え合う姿だとか。そこに知恩・報恩の大切さもあります。
仏教は、人間が他のものに依存して生きる縁起の道理を説いています。
そのうち報恩は特に大切で、それは親の恩・国主の恩・一切衆生の恩、そして三宝の恩の四つです。
歯が抜けて噛(か)み締める親の恩。
山よりも高く、海より深い両親の恩は、わが子を持ち、年老いて実感する無償の愛です。
国土社会から受ける有形・無形の恩恵も計りしれません。そこに社会貢献の大切さもあります。
国家社会は、人と人との繋がりで成り立っています。一台の自動車は勿論、たった一度の食事、たった一枚のシャツ、どれも無数の人手がかかっています。
一切衆生の恩を瞬時も忘れてはならない理由です。
ましてその九割九分が、妙法とは無縁の人々であることも見落としてはならない大事な視点です。
「罪を憎んで人を憎まず」とは、孔子の言葉です。
私達にとっては、「謗法を悪(にく)んで、人を悪まず」の精神です。
例え妙法を持たない人でも、直接・間接に世話になっている無数の人々に対して感謝の念を懐き、礼節を尽くし、信頼を築くことの大切さを忘れてはなりません。
その上で相手の真の幸せを願って実践する折伏が尊いのです。
大聖人は、『上野殿御消息』に、
「昔は一切の男は父なり女は母なり。然(しか)る間 生々世々(しょうじょうせぜ)に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり」
(新編・927頁)
と、大乗菩薩の精神が説かれています。
下種三宝を信奉する私達の信心は、自身の成仏は当然として、両親・国家社会・一切衆生の恩に正しく報いる信心であり、その真の報恩は折伏に尽きることを銘記すべきです。
たった3センチ余りの細い轍。
その上を颯爽(さっそう)と走る自転車は、広いゆとりの道があるからこそ悠々と走ることができるのです。
お互いに私達は、宿縁薫発して信心に励む妙法の体現者です。
正しい信心を根本に、知恩・報恩の実り豊かな日々を過ごしながら、悔いなき折伏躍動の日々を過してまいりましょう。
清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2023年2月1日号より