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第28号 H25.10.21 「あなたは火の信心?水の信心?それとも・・」

皆さん、おはようございます。方丈通信でございます。


 大聖人の『上野殿御返事』に、

「抑今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつばかりをもへども、とをざかりぬればすつる心あり。

水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり。

此はいかなる時もつねはたいせずとわせ給へば、水のごとく信ぜさせ給へるか。たうたしたうとし」

という、火の信心・水の信心を説かれている御文がございます。


 私たちの信心には大別して「火の信心」と「水の信心」があります。


 火の信心とは、一時的に強盛な信心を発こし、あたかも火が天に昇るように盛んに燃えた姿で仏道修行を行ったとしても、やがて時間が経つにつれて火がおさまり鎮火するように、信心も遠ざかってしまうことであります。

一時はよく寺院へ参詣していたのに来なくなってしまった、以前は折伏を必死に行っていたのに最近は停滞しているなど、浮き沈みが激しい信心のことを「火の信心」といいます。


 これに対して水の信心は、「いつもたいせず」と仰せのように、止まることなく常に流れ通う信心であります。

水は一カ所に止まっていると日ごとに濁りを増して、ついには腐ってしまいます。

ですから水は水でも濁っている水ではなく、川の水の如く常に流れ通う澄んだ水でなければならないのであります。

いつ如何なる時でも大聖人様の信仰を実践し続けることが「水の信心」をしている人であります。


 しかし、この「水の信心」を取り違えてはなりません。

 それは、水の流れるがごとき信心でも惰性に流された弱い信心ではいけないのです。

退転することはなくても歓喜もなく、情熱もなく、積極性もない信心ではいくら続けているとはいっても本当の大きな功徳は頂けません。


第五十九世堀日亨上人は、

「信仰の風格にも、各自の本然の気質をうちだすものである。

温良な人は、水の消極的の微温な信仰になりやすい。

猛烈な人は自然に火の信仰になる。

欲をいえば、火の信仰を水の信心に続かせたい。

すなわち、熱湯の信仰というべきであろうか」

と御指南くださっております。

「火の信仰を水の信心に続かせる」ような「熱湯の信心」が理想です。


 つまり常に滔々と流れる水のごとき信心をしながら、また積極的に勇猛に修行に励むことが肝心であります。

季節が移り変わっても、時代が経過しても惰性に流されることなく微弱な行体にならず、常に歓喜と情熱をもって生き生きとした信心を持ち続けることを心掛けましょう。


 また堀日亨上人はこうも仰せになっています。

「常恒不断の信仰は消極的で、ごく微温なものが多い。

不退の方は結構であるが、微温では仕方がない。消極は困りものである。

自身だけは、謗法もせず迷いも怠りもせぬつもりであろうが、消極の信心、微温の信仰では化他力が少ない。

白熾熱にして始めて燃焼の力用が強い。熱心なればこそ他人を感化するの効用がある」


 折伏においても熱意がなければなかなか相手の心を揺さぶることはできません。

相手を救おうという一念から情熱が沸き、その熱のこもった折伏によって相手の心を、命を動かすことができるのであります。


 どうぞ、皆様には水の信心を沸き上がらせて「熱湯の信心」を貫き通すことを心掛け、常に唱題に、折伏に燃え立ち勇猛邁進して頂きたいと思います。


発心杖|2013年10月26日

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