第24号 H25.9.28 「登山について」
日蓮正宗においては、この多宝富士大日蓮華山・総本山大石寺に参詣することを、古来より「登山」と言い習わしており、仏道修行の中でも最も重要な修行の一つとしています。
ゆえに当宗では、昔から「毎日仏壇、月にはお寺、年に一度は大石寺」と云われ伝わっているのであります。
皆さんは、総本山への登山をどのような目的をもって来られているのでしょうか?
・ある人は、自身の病気や悩み事などを御祈念するため。
・またある人は、自己の信心倍増の為。
・また中には、ただ単純にお寺の行事の一貫として来られている方もいるかも知れません。
各々登山目的は異なるかも知れませんが、ここで登山の意義をいくつか挙げてみます。
まず第一に、大聖人の御当体である本門戒壇の大御本尊様を内拝させていただく御開扉を受け、大御本尊様と御本仏日蓮大聖人へ御報恩感謝申し上げることであります。
第二に、大御本尊様に広宣流布の大願成就と、全人類の幸福平和を御祈念して、その実践の決意と精進をお誓い申し上げることであります。
第三に、自身の無始以来の謗法と罪障を消滅し、現当二世にわたる大願成就と信心倍増を願うことであります。
第四に、御法主上人猊下にお目通り申し上げること、現在では特別理由がないかぎりお目通りは許されませんが、御開扉の時に御法主上人猊下の御姿を謹んで拝し、また読経唱題を一緒に唱和することも御目通りの一分になろうかと思います。
第五に、御供養をさせて頂くこと。
過去の御信徒方は、登山の折には必ず御供養を持参されていた事が、御書によって明かであります。
多くの方は、御開扉において今申し上げた中の自分自身の罪障消滅等の願い事は進んでおこなっていることと思いますが、特に大事なことは大御本尊様・御本仏大聖人への御報恩感謝と、広宣流布の成就そして御命題達成の御祈念とその実践の誓いであります。
これら大事を御開扉の際には是非心掛けて頂きたいものであります。
さて、話しは変わりますが総本山大石寺には、山内に建立されているさまざまな堂宇の意義や時代時代の御先師、諸先輩方にまつわる伝承がございます。
ここで皆様がどのくらい総本山のことを知っているか問題を出したいと思います。
【第一問】 日興上人の説法を聞いた生き物とは?
石之坊には、大きな石があります。
これを「説法石」といって日興上人が身延を下りられ、この地にこられて大石寺を建てている間、この大きな石の上で説法をされていたと伝えられている石であります。
ここまではご存知の方も多いでしょう。
さて、当時村人を困らせていた生き物が、この説法石でされる日興上人の説法を聞いて悪さをしなくなったという伝承がありますが、さて、その生き物とはなんでしょうか?
【第二問】 隠れ代官坊は?
総本山の塔中には古来より代官坊なる坊がございます。
代官坊とは、御法主上人猊下がお留守の時に代わりに法務を執り行う大切な役目を果たす僧侶が住まわれる坊のことで、この代官坊は格式が他の坊より一段上ということで朱塗りの門になっています。
参道を歩いて塔中の門を見ていただくと寂日坊だけが朱塗りであることがわかると思います。
つまり、寂日房が代官坊であるのです。
さて、塔中には寂日坊の他にもうひとつ代官坊があります。
しかし、この坊は現在朱塗りではありませんので一見、判断することは難しいのですが、そのもう一つの代官坊は「○○坊」でしょうか?
ヒント:門のある部分の形が他の塔中の門と異なります。
【第三問】 御影堂前の石畳を御供養したのは誰?
現在、大改修をしている御影堂前の石畳の階段を御供養された御信徒がいます。
ご存じでしょうか?
御影堂前の階段および石畳は、日俊上人の代(貞享三年(1686年)に新設されたことが記録として残っておりますが、境内の中心堂宇である御影堂には多くの僧俗が参集することから、参道から御影堂に至る手前の場所に生じていた高低差は参詣者を悩ませていたことが推察されるのです。
こういった不便を解消するために篤信のご信徒が浄財を御供養され、補修工事をしたのです。
現在の御影堂前の階段は昭和6年の御影堂改修の折に補修されておりますが、そのときにご供養された篤信の御信徒とは、どこの所属の誰でしょうか?
ヒント:御影堂前の階段にいけば分かるかも。
この三問すべて正解した方は総本山に詳しい方と言えますね。
本門戒壇の大御本尊様の御開扉を賜ったその功徳福徳は計りしれないものがあります。
どうぞ、この功徳と歓喜をもって残された月日を誓願達成に向かって邁進して参りましょう。
さて、3つの問題の答えを発表致します。
みな、さまざまな答えを出しておりました。
でも3問とも正解した人は少なかったように思います。
【第一問】 日興上人の説法を聞いた生き物とは?
(解答) 大蛇(ヘビ)です。
昔、まだ大石寺ができる前、今の塔の原グランドの東側のところに「大蛇ヶ窪」という窪地がありまして、そこに大蛇が住んでいて村の人々はその大蛇に恐れを抱いていたそうです。
そして日興上人がこの地に来られて、説法石の上で説法をされているとこの大蛇が来て小さな蛇に変わったそうです、それ以来、大蛇ヶ窪には出なくなり、説法になるといつもこの場所に現れて、最後は蛇身を変じて兜率天に生まれ変わったという話しがあります。
後に観行坊日陳師は大蛇ヶ窪に石碑を建てたそうです。
そして近年は観行坊の境内地にその石碑があります。
【第二問】 隠れ代官坊は?
(解答) 久成坊です。
塔中の代官坊は寂日房であることは、他の坊と異なり、寂日坊の門が朱塗りであることから把握できます。
ではもう一つの代官坊の久成坊でありますが、久成坊は、現在朱塗りではなく黒塗りの門でありますから色で判別はできません。
しかし門の柱の形が他の坊が四角であるの対し、久成坊、寂日坊は丸い形をしております。
これが他の坊より格式が高いことを表しているのです。
久成坊が代官坊となった経緯を示す文献は見当たりませんので、もし今後詳しいことが分かりましたらご報告致します。
【第三問】 御影堂前の石畳を御供養したのは誰?
(解答) 東京本因妙講の内山ワカさんです。
御影堂正面のすぐ前にある石段を通られた方は分かったと思いますが、現在もしっかりと「東京 内山ワカ」と石段に刻まれております。
内山ワカさんとは、日應上人時代の信徒内山伊三郎氏を父として生まれ、当時の東京本因妙講の信徒で東京池袋・法道院草創期に多大な貢献を果たし生涯強盛な信仰を貫ぬいた方であります。
ワカさんについて元、法道院御主管であられる観妙院上人は、
「内山のおばあさんは法道院にとって格別な因縁を持っているお方です。
法道院開基日應上人の御指導を終始一貫に受け切って、信心修行に励んで来られたお方です。
今日、法道院が大御本尊様の御利益と御信者の外護をもって堂々と宗門でも一、二の寺院としてこられたのも、内山のおばあさんが居たればこそ、今日の法道院の建立があり、今日の建設があったと思う次第です。
日應上人と内山さん。内山さんと法道院の関係は法道院の歴史に永くとどめていかなくてはなりません」
と語られており、
また、内山ワカさんの当時を知る星野氏は、
「今から五十年も前にさかのぼります頃、内山様が菅野紀元次様と言う御立派な弁護士の先生を折伏あそばしました。
あの様な方をどうやって折伏なさったのかと知りたくて、菅野先生に直接質問をしたことがございました。
「それはね、星野さん、私が所用で内山さんのお宅へ伺った時のことです。
その日は大変に寒い雪まじりの日でした。
手あぶり火鉢に炭火をたくさん入れて、暖かくして、御本尊様の前にすすめて、あたかもそこに大聖人様のいられるように
「大聖人様、今日はことのほかにお寒い日でございます。どうぞお暖り下さいませ」
と心からお話をしていられました。
その時です。
「これは素晴らしい信心だな…」と感じて入信させていただく決心がつきました。
とお話を伺って、真心だなと感じました。
それ以後、私は「折伏は真心」を根本に折伏をさせていただいております。」
と述べられています。
内山ワカさんは、総本山や池袋法道院などに多大な貢献を果たし、また真心をもって折伏に望まれた篤信のご信徒だったのですね。
私たちも内山ワカさんに見習い、総本山や菩提寺を外護する精神を大切にしたいものです。
今回の質問以外にも総本山には様々な歴史、堂宇の意義、伝承が存しますので、少しでも学び自身の信心の資糧として頂きたいと思います。
発心杖|2013年10月6日