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今月の指針12月号「運命は変えられる」

 「不幸な運命」、「悪い運命の星のもと」など、とかく「運命」という言葉には、過去世からの定めという暗く固定的なイメージがつきまといます。

そこには人間の力では如何ともしがたいあきらめの思想が支配的です。仏教でいう宿命も宿業もほぼ同義です。


 仏法でも世間でも、原因結果の法則を説きますが、仏法のそれは遥かに深く広く厳しい因果の道理です。

そのうえ仏教では過去・現在・未来の三世を貫く因果の間に「縁」を説くのが大きな特徴です。

例えば木は木でも、御本尊に謹刻される木もあれば、踏み板になって踏みつけられたり、薪になって燃やされてしまう木もあります。それはみな縁の違いによるのです。


 ところで人間の一生が、過去の因だけですべて決まるとしたら、それは単なる運命論であり宿命論です。

しかし人間には、自ら考え行動する力が具わっています。

だからこそ正法に巡り会う「縁」さえ整えば、宿命を転換し、変毒為薬(へんどくいやく)して真の幸福の境涯を築くことができるのです。


 元来仏教には、勝劣浅深があります。いま時代は、五濁爛漫(ごじょくらんまん)の末法です。

そこ生まれ合わせた煩悩具縛(ぼんのうぐばく)の荒凡夫(あらぼんぷ)は、法華経の文底に説かれる南無妙法蓮華経の御本尊という無上の縁によってのみ真の成仏が叶うことを忘れてはなりません。

『上野殿御返事』に曰く、

「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。只南無妙法蓮華経なるべし。」

  (新編1219頁)と。

また『聖愚問答抄』に曰く

「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福(さいわい)や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし。」         

  (新編406頁)


清涼寺 寺報 「従藍而青」

今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師

2025年12月1日号より



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