top of page
今月の指針 5月号「死んでからでは 遅すぎる!」

時間は、物や金と違って蓄えることができません。

貯めておいて後で自由に使う、そんな芸当はできない相談です。

人を待たずにどんどん過ぎ去っていく時間。

だからこそ即座に無駄なく、しかも価値的に使わなければならないのです。


陶淵明(とうえんめい)は、

「盛年(せいねん)重ねて来たらず 一日再び朝(あした)なり難し 時に及んで正に勉励すべし 歳月は人を待たず。」

と。

二度と来ない朝を青春になぞらえて、若い時代に時間を惜しんで勉学に励めと警鐘を鳴らしたのです。


朱子(しゅし)が説く、

「少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰(こういん)軽んずべからず。」という『偶成(ぐうせい)』の一節も同じです。

このように古来多くの人々が、時間の浪費癖を嘆き誡めています。


 明日生きる保証は、誰にもありません。

死は一定であり、そのうえ老少は不定です。

生は死とは常に背中合わせ、若いからといって死を遠ざけて無関心を装い、今健康だからといって管理を怠る、そういう人が少なくありません。

だから健康を害し、死に直面して周章狼狽(しゅうしょうろうばい)するのです。


 さて、有終の美を飾って悔いなき一生を終えたい、叶うものならピンコロが一番と誰もが密かに願っています。

しかし大事なことは、それに備えて今何をしているか、それが何より大事です。

正しい信仰を持つ理由がそこにあります。


 人の命は、無始の過去によって現在があり、それが因となって無終(むしゅう)の未来に繋がる三世両重(さんぜりょうじゅう)の因果です。

それは永遠の生命の中で生死を繰り返す本有常住(ほんぬじょうじゅう)の命に他なりません。


 受けがたき人界に生を受け、朝露のようにはかない命を生き延びる。

その上に爪上の土の確率で正法に巡り遇えた福徳は、譬えようもない無上の喜びです。

僅かな時間も無駄にできない理由がそこにあります。

死んでからでは遅すぎる、命あっての信心修行です。

生きている今にこそ、倦(う)まず弛(たゆ)まず信心を磨き、臨終正念(りんじゅうしょうねん)を目指す悔いなき人生でありたいものです。


 三大秘法の大御本尊を持つ身の福徳に限りない感謝の念を持って、寸暇を惜しんで命を磨き、桜梅桃李(おうばいとうり)の個性を全開して、自受法楽(じじゅほうらく)の人生を生き抜いてまいりましょう。

日々新たな発心のもと、更なる自行を磨き、化他(けた)の折伏に精を出して、真の報恩を心がけてまいりたいものです。 


清涼寺 寺報 「従藍而青」

今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師

2022年5月1日号より

bottom of page