今月の指針5月号 「安きに居て危(あや)うきを思う 」
「天災は忘れた頃にやって来る」これは明治の物理学者・寺田寅彦の名言です。災害の記憶は、何年たっても風化させるな!という警句でもあります。
昨今、新聞やテレビのニュースでは、連日のように自然災害の悲惨な状況を報じています。「ああ!また今日も世界のどこかで・・・」と、関心を示し同情はするものの、対岸の火事として聞き流す。これが喉元(のどもと)過ぎて熱さ忘れる凡夫の習いです。
大聖人は、『富木殿御書』に、賢人と佞人(ねいじん・愚人)の違いについて、「賢人は安きに居て危(あや)ふきを欲(おも)ひ。佞人は危ふきに居て安きを欲ふ。」(新編1168頁)と説かれています。もともと『春秋左氏伝』(しゅんじゅうさしでん)の言葉です。唐代の名君・太宗(たいそう)は、『貞観政要』(じょうがんせいよう)の中で好んでこれを使いました。大聖人が用いられた御真意は、単に天災に止まらず、人生万般に及ぶ守成(しゅせい)の大事を説く為だったと拝します。
人間はややもすると平穏が続くと気が緩み、油断しがちです。安穏な時にこそ逆境を忘れず、一層気を引き締めて非常事態に備えることが大事です。いわゆる人生の危機管理です。とりわけ正信を持つ私達は、平穏にあっても「蟻の一穴(いっけつ)」の戒めを常に忘れてはいけません。謗法厳戒は信心の要です。知らず知らず身に染(し)む懈怠(けたい)・慢心等の十四誹謗の点検を常に怠らない、それが賢者というものです。
末法は、「謗法の者は十方の土、正法の者は爪上の土」 表面的には華やかで便利この上ない時代ですが、謗法と正法との見わけもつかず、無邪気に生きる人の姿が巷に溢(あふ)れています。そんな時代に生まれ合わせた私達は、値い難き妙法に巡り会った法華講のかけがえのない同志です。「不染世間法如蓮華在水」(ふせんせけんほうにょれんげざいすい)の経文を命に刻んで、謗法に染まらず、破邪顕正の折伏に生きる使命があります。お互いに不退転の信心を貫き、常寂光の世界を目指して広布に汗を流してまいりましょう。
今月は、松葉谷法難から約八か月後、「まだ生きているのが不思議」という何とも理不尽な理由で大聖人が伊豆流罪に処せられた五月です。この時大聖人は、法華身読(ほっけしんどく)を喜ぶ一方で、謗法の逆徒に罪を作らせることを嘆かれています。この広大無辺な大慈大悲に深く思いを馳せて、常に声を掛け合い、一意専心折伏に挑(いど)んでまいりましょう。
清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2024年5月1日号より