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第21号 H25.9.9 「亀の信心、うさぎの慢心」

皆様は「鍛錬」「百鍛百錬」という言葉を御存知でしょうか。

幾度もいくたびもたたき、鍛え、錬りあげるという意味の言葉であります。

一本の名刀を作るのに刀鍛冶は何度、焼き鍛え、鎚を打ち、研ぎ磨くことでありましょうか。

私たち人間も?真金の人?といわれるためには、やはり鍛えるということが必要なのであります。


 私たちの修行も同じであります。大聖人の御指南を常に深く体しつつ、衆生を真に導き、成仏せしめる道は三大秘法の御本尊以外にないのであるということを本当に確信し、その上から一歩でも二歩でも、五歩でも十歩でも進んでいくことです。

それが行の意味であります。


 「うさぎと亀」という譬えがありますが、「着実」という意味において、参考になる話であると思います。

あれは、足の速いはずのうさぎが負けました。

うさぎはピョンピョン跳んでいったけれども、「ここらでちょっと一眠り」と眠ってしまいます。

その間に亀は、倦まず弛まずノソノソ歩いていって、うさぎが目を覚ました時には、亀は目的地に到達していたのです。


 このうさぎの考え方のなかには、「亀なんかに負けない。自分は絶対に勝れているのだ」という傲慢な心、驕りがあるのです。

この驕りが、人間の一番の悪徳の意味があります。

この驕りがあるから油断するのです。

「自分はこれだけ立派なことをしてきた。自分以上の人間はいない。あとはみんな私についてくればいいのだ」


 結局、この慢心と驕りによってうさぎが負けるのです。

亀は目立たないし、見栄えもよくないかも知れない。

けれども、着々と自らの進むべきことに常に倦まず弛まず進みます。


 うさぎのような慢心を戒め、常に謙虚な姿勢で一歩一歩、地に足をつけて着実に亀のように前進するとき、ふと自分が歩いた道のりを振る変えるとき、大きな進歩と功徳があるはずです。


 信心の功徳にも一獲千金はありません。あくまでも信心の厚薄、志の積み重ねによるのでありまして、地道な、まじめな信心が肝心ということなのです。


 清涼寺支部の誓願目標の道のりのも、目の前にある一つ一つの折伏を坦々と確実に行っていく、歩みを止めず常に前進することこそが、誓願達成のカギであります。


発心杖|2013年9月15日

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