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今月の指針 2月号「人材なければ広布なし」

厳寒の二月。

温暖な房総の地にあっても寒中の厳しさは、ひときわ身に沁みます。

そんな中で、遥か昔、厳寒の孤島・佐渡で厳しい生活を余儀なくされた日蓮大聖人に思いを馳せることもしばしばです。

「八寒を現身に感ず」とまで仰せになった想像を絶する極限の御生活。

しかしそれは、御本仏大聖人にとって法華経を身で読む法悦であり、重要な御化導の一環であり、末法の闇を救う大慈悲そのものの御振舞でした。

加えて餓鬼道さえ御身に味わった広大な「白烏(はくう)の恩」に、いかにお応えするか、立ちすくむばかりです。

しかし逡巡(しゅんじゅん)してはいられません。

その万分の一でもお応えするのが弟子檀那のあるべき姿です。


 私達の信心修行は、『諸法実相抄』に、

「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。」

   (新編・668頁)

とお示しの通り、一信、二行、三学が教導の筋目です。

なかでも信は、根本中の根本です。

だからといって行の無い信は、崩れ易く脆弱(ぜいじゃく)な信心になりがちです。

だからこそ一層真剣な行が必要になってくるのです。


 大聖人を大師匠と仰ぐ弟子達は、

  法華経を 

  我が得しことは薪こり 

  菜つみ水くみ 

  つかえてぞえし

の歌の通り、身をもって大聖人にお仕え申し上げました。

未曾有の大仏法の真髄は、単に知識として覚えるのではありません。

身心の両面をもって真剣に実践してこそ体得できるものです。

一方、信・行の裏付けの無い単なる教学も、我意我見に陥るものとして厳しく戒められています。


 広宣流布は、座して待つべきものではありません。

こちらから勝ち取っていくものです。

そのためには異体同心の強い組織が不可欠です。

その中で信・行・学の筋目の通った師弟相対の信心を磨き、共に広布の有為な人材に成長していくのです。

折伏の人材が育たなければ広布の前途は暗く、それは絵に画いた餅になってしまいます。


 怠りなき朝夕の勤行、心ゆくまで唱える題目、その功徳を原動力として折伏に励みつつ育成に取り組む。

一に実践、二に実践、三、四が無くて五に実践です。

そういう蘭室(らんしつ)の如き麗しく活気ある講中があれば、そこに広布の人材が生まれ、折伏の機運が盛り上がり、誓願目標の達成も視野に入ってくるのです。


「法 自(おの)づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し。」

   (『百六箇抄』、新編・1687頁)


清涼寺 寺報 「従藍而青」

今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師

2022年2月1日号より

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