今月の指針5月号「一円を笑う者は、一円に泣く」 蟻の一穴
「一円を笑う者は、一円に泣く」。
たった1円などと馬鹿にしていると、その1円が無いばかりに泣かされた経験は誰でもあるはず。
99%完成しても、たった一本のネジがなければ、その車は未完成。「たった一つのネジが足りないだけですよ。安全面には問題ありません。立派に走りますよ。是非買って下さいな。」
あなたは、この車買いますか? そして乗りますか? たかが一本、されど一本です。
これは物だけにいえることではありません。時間だって同じです。
朱子(しゅし)の『偶成(ぐうせい)』には、
「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰 軽んずべからず。」と、これは誰もが知る有名な教訓です。
とりわけ、「一寸の光陰 軽んずべからず。」の一句は、これほどの大学者にしてこの後悔の感慨、ひとしお心に響きます。
こうした古今の誡めを心に刻んで、常に怠慢を誡め、わが人生に二度と巡ってこないかけがえのない今日一日を大事に過ごすことが大事です。
しかし言うは易く行うは難しです。
さて、御本仏日蓮大聖人は、御書の中に「蟻(あり)の一穴」の誡めを説かれていま す。即ち、
「なはて(畷)堅固(けんご)なれども、蟻の穴あれば必ず終(つい)に湛 (たた)へたる水のたま(溜)らざるがごとし。」
(『阿仏房尼御前御返事』新編906頁)と。
蟻が通る小さな穴と侮(あなど)るなかれ!それを見過ごしたばかりにやがて小さな穴から水が漏れ出して水田が干上がる。
堅牢な堤防は決壊する。船底から水が入りわが身もろとも沈む恐ろしさ。信心もまた同じです。
どんなに長年信心に励み功徳を積み重ねても、僅(わず)かな気の緩(ゆる)みからくる慢心や我見の芽、それが芽となってやがて大きな謗法となり、功徳を失い身を滅ぼすことになるのです。常初心の信心で謗法の芽を摘み、信心の点検を怠ることなく精進を重ねる努力が不可欠です。
大聖人は、佐渡の千日尼に対して慈愛を込めて信心の厳しさを教えられたのです。