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今月の指針 3月号「木を見て森を見ず」

物事の一部分に眼を奪(うば)われて、全体的な判断ができずに本質を見失うことを「木を見て森を見ず」といいます。


 法華経は、分量にかけては他の爾前経(にぜんきょう)には遠く及びません。

しかし内容は他の追随を許さぬ最勝深秘(さいしょうじんぴ)の教えです。

『無量義経』の「四十余年 未顕真実」(しじゅうよねん みけんしんじつ)、

『法華経』方便品の「正直捨方便 但説無上道」(しょうじきしゃほうべん たんぜつむじょうどう)

の経文は、何よりの証明です。


 『蒙古使御書』(もうこつかいごしょ)に、

「外典の外道、内典の小乗、権大乗(ごんだいじょう)等は皆己心の法を片端(かたはし)片端説きて候なり。」

   (新編・910頁)

とあります。

「己心(こしん)の法」とは私達の生命であり、爾前経は、その部分、部分を説いたに過ぎない方便の教えなのです。


 ところで人類の歴史は、貪瞋痴(とんじんち)に支配された歴史であり、それが人類を発展させてきたともいえます。

しかし便利さや快適さばかりに目を奪われて、「物で栄えて心で滅ぶ」結果を招いたことも事実です。


 人心が乱れて生命が濁れば、社会が乱れ、生態系が乱れて、天変地異や紛争、未知のウイルス等の三災七難(さんさいしちなん)をもたらすのです。

これが依正不二(えしょうふに)の原理です。

その根底に、誤った思想や宗教による人類の傲慢(ごうまん)があることを見逃してはなりません。


 どんなに文明が高度に発展しても自然が一度 牙を剥(きばをむ)けば、その威力の前に人間はいかに無力であるか、新型コロナで痛いほど思い知らされました。

どこまでも科学は、人類の幸福の手段であって目的ではありません。

科学を至上として、全体を見失い、人間の視点を欠いたところに様々な誤算が生まれてきたのです。


 法華経は、生命の真実の姿を説き明かした一念三千の教えであり、命の永遠性を明かした最も優れた教えです。

その真髄(しんずい)が南無妙法蓮華経であり、それを三大秘法(さんだいひほう)の大御本尊として建立されたのが、末法の御本仏・日蓮大聖人です。

この御本尊に絶対の信を置いて、久遠下種本因妙(くおんげしゅほんにんみょう)の題目を唱える以外に、真の幸福境涯を築く道はありません。


 爾前経に捉(とら)われ、末法の大良薬(だいろうやく)である三大秘法の御本尊を信じない人は、木を見て森を見ない、いわゆる部分観に捉われた愚かな人というべきです。

仏法の全体観に立って唯一無二の正法を持つ私達は、深い確信と誇りを胸に刻んで自行を磨き、化他の折伏に誠心誠意取り組むことが最も肝要です。    


清涼寺 寺報 「従藍而青」

今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師

2022年3月1日号より

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