今月の指針12月号「臨終 只今にあり」(りんじゅう ただいまにあり)
西洋のある偉人は、どんなに金にケチな人でも時間には実に寛大、求められるままにすぐに差し出す、と歎いています。
一日二十四時間、平等に与えられた時間を効率的に大事に使えば、快適な生活と有意義な人生が約束されるのに、凡夫は無為に過ごして「忙しい、忙しい」が口癖です。それは、単に時間の使い方が下手で、無駄が多いのかもしれません。
時間の使い方が、人生の幸・不幸さえ左右します。私達の命は永遠、しかし限りある今生の命は、瞬(またた)く間に過ぎ去る無常の命です。努々(ゆめゆめ)無駄に費やしてはなりません。
「死は一定」、生ある者は必ず死する習いです。しかもその順序に定めはありません。
夭折(ようせつ)、人生半ばの不本意な死、子に先立たれる親の無念、見舞われた人が見舞ってくれた人の葬儀に出向くなど、人生は百態百様です。
定年して時間に余裕が出来たら、ゆっくり人生を考えよう。信仰? まだその必要を感じない。年をとって死を意識する頃になったら考えるよ。よく聞く話です。
しかし人生一寸先は闇。しかも老境まで難なく生きる保証は誰にもありません。
だからこそ日蓮大聖人は、
「人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」
(『妙法尼御前御返事』新編1482頁) と。
いつ訪れるか知れない臨終、そして死をまず最優先に学ぶべきことを教えられているのです。
自分はあと何年生きるか、いつ寿命が尽きるかわからない。今日が最後かもしれない。
「臨終只今にあり」の緊張感の中にこそ充実した一日が生まれます。
人生は、どれだけ長く生きたかより、どのように生きたかがより大事です。その為に私達は、大聖人が遺して下さった三大秘法の大御本尊を唯一無二の大良薬と固く信じて、信心修行に励むことが最も肝要なのです。
「命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり。」
(『富木入道殿御返事』新編488頁)
お互いに宿縁薫発して妙法を持つ身となった今、かけがえのない命を少しでも広布に捧げて仏国土建設にお役にたつことこそ、最も価値ある人生というものです。
ラストスパートの極月(ごくげつ)十二月、悔いなき日々の実践が、明年の幸先のいいスタートにつながるよう、更なる奮起と精進を心よりお祈りいたします。
清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2024年12月1日号より