今月の指針7月号「魔と鬼と」 宿命転換のチャンス
「世皆正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。」
(新編234頁)
『立正安国論』の有名な一節です。
世の乱れは宗教の乱れ、それが仏教の乱れに直結して魔が競い鬼神が徘徊(はいかい)して災難が打ち続く道理です。
魔も鬼も奪命者とか奪功徳者等と訳されます。
私達の正しい信心を妨害し、幸福な生活を乱し、病気や災害の原因となるものです。
三障四魔の魔は、障礙(しょうげ)・攪乱(かくらん)・破壊などと訳されます。
しかし表向きは、仏身・菩薩身・天・人・鬼畜・父母・妻子・兄弟・師匠・朋友・美男・美女、更には財貨や飲食・畑宅などとして現れます。その誘惑に騙(だま)されるのです。
人間の心のスキを狙(ねら)い、弱味につけ込んで生命のリズムを狂わせる、これほど恐ろしいものはありません。
一方鬼は、餓鬼とか鬼神とも訳されます。
餓鬼界に住む夜叉(やしゃ)・羅刹(らせつ)・餓鬼など、人間の目には見えない力を持って生命力を奪います。しかしひとたび妙法の光に照らされれば、正法守護の「善鬼」ともなるところが魔との大きな違いです。魔は「善魔」とはなりません。
御書に、
「鬼入りて人の命をうば(奪)ふ。鬼をば奪命者といふ。魔入りて功徳をうば(奪)ふ。魔をば奪功徳者とい(言)ふ。」
(『木絵二像開眼の事』新編638頁)
と。
鬼は奪命者、魔は奪功徳者。今世の命を破壊するだけの鬼に対して、魔は生命の奥深く入り込んで三世の功徳までも破壊し尽くす、より根源的で恐ろしいものなのです。
そういえば鬼には、豆に打たれてほうほうの体(てい)で退散する可愛さもあります。
牛の角と虎柄のパンツは、鬼のイメージキャラクター、何とも愛嬌のあるキャラクターです。これは、鬼の出入り口が丑寅(北東)の不吉な鬼門であることに由来しているとか。
鬼手仏心、外面は恐ろしい鬼面でも内心には深い慈悲が宿っている真の優しさです。
心を鬼にする、鬼コー チ、練習の鬼、折伏の鬼等々。どれも厳しさの裏に深い慈悲が宿るいい言葉です。
いずれにしても魔も鬼も私達の心の隙を虎視眈々(こしたんたん)と狙(ねら)っています。
その中で特に見過ごしやすいのが「己心の魔」、手ごわい相手です。信心が深まるほど激しさを増すのもこれらの特徴です。障魔に怯(ひる)まず敢然と立ち向かう勇気をもって乗り越えたいものです。
そこに人間の成長もあり、宿命転換のチャンスもあります。
正邪を見透す眼力、魔にも鬼にも屈しない信力、苦難を克服する行力、堅固な信心でこれらの力を養えば、何物にも動じない不動の絶対的幸福の境涯を確立すること請け合いです。
清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2026年7月1日号より

