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今月の指針11月号「生涯青春」

「年を重ねただけでは 人は老いない

理想を失う時に 初めて老いが来る

人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる

人は自信と共若く 恐怖と共に老いる

希望ある限り若く 失望と共に朽ちる」

  (「青春の詩」サミエル・ウルマン) 


 青春は、春を青に当てた中国の五行説(ごぎょうせつ)に由来します。

年若い世代は、人生の春であると同時に未熟者の青二才、しかしそれは伸びしろの大きい未完の大器でもあります。草木の芽が「張る」にも通じ、気候の「晴る」にも通じます。

英語のスプリングも飛び跳ねるが原意とか。いずれにしても青春は、青葉、若葉のように若々しく、生命力に溢れ、躍動感に満ちた たった一度の素晴らしい年代に違いありません。

そのかけがえのない青春も加齢と共に理想を失い、信念や自信が失(う)せて死の恐怖にたじろぐようになると老化の始まりです。


 「青春の詩」の作者サミエル・ウルマンは、青春とは人生のある期間を指すのではなく「心の様相」のことだと喝破しています。

確かに世の中には死んだように生きている若者も、老けた若者もいます。反対に、生涯現役をモットーに、人生の晩年を謳歌(おうか)している若々しい老人がいることも確かです。


 ところで、生涯青春・生涯現役は万人の願いです。しかし人は死を治(じ)することはできません。歳月は、冷徹に時を刻み、やがて人は年老い病んで人生最期の臨終を迎えるのです。

 この世に生を享(う)けた以上、誰しも四苦を避けることはできません。一日生きるということは、一日死に近づいたということ。そうした現実の中で、いかに生・老・病・死を克服するか、これが人生の重要なテーマであり、仏教の出発点もそこにあります。


 大聖人は、不退転の妙法の信心に裏付けられた常・楽・我・浄の人生こそ、成仏の境界だと説いています。

生死の底流に滔々(とうとう)と流れる永遠の生命の大河を確信し、生きること自体を楽しむ自受法楽の境界こそが人生の醍醐味です。

希望と共に若く、勇気と共に輝き続ける人生、それは三大秘法の大御本尊と共にあり、不退転の信心の中にあります。

不老不死とは、いつまでも若々しく永遠の命を確信することに他なりません。その実証は、折伏の強力な武器となり、動執生疑から断疑生信へ繋(つな)がる折伏の力に他なりません。


清涼寺 寺報 「従藍而青」

今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師

2025年11月1日号より

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